創業者紹介

株式会社DAZZLE

萩原 弘

Hiroshi Hagihara

得意分野や趣味を事業に!
好きなことを好きなペースでやれるので
ずっと楽しみながら働いていけそうです。

萩原 弘37years old

Hiroshi Hagihara

宇部市出身。水産大学校、山口大学大学院で食品の成分などの研究に没頭し、その実績を活かすために東京の健康食品会社に入社。会社員として働く中で見つけた夢に挑戦するため、1年半ほど勤めたのちに退職してUターン。自分が企画・開発した商品を通信販売する「美容」と「健康」の2つを主に事業の軸とした株式会社DAZZLEを創業。
 
株式会社DAZZLE
創業:2014年4月
住所:宇部市東須恵770-10
HP:http://www.dazzles.co.jp

小さい頃からの魚好きがきっかけで、水産大学校の食品科学科に進学した萩原弘さんは、講演会で山口大学の教授から聴いた、魚に含まれる栄養素に関する研究に興味を持ち、山口大学大学院に編入して研究に携わる道を選びました。その後、2年間の修士課程で学んだことを活かすため、共同研究のパートナーだった東京の健康食品会社に就職。企画・開発・営業・販売などさまざまな業務に携わる中、「閃いたアイデアをもっとスピーディーに実現したい!」と思うようになり、独立を決意します。地元宇部にUターンし、美容と健康を主な軸とする通信販売会社「株式会社DAZZLE」を創業した萩原さんに、創業に向けての準備やこれまでの苦労、今後の目標についてなどお聞きしました。

これまでの経歴を教えてください。

宇部市内の高校を卒業後、下関市の水産大学校の食品科学科に進学し、水産物の加工食品について学びました。学校で開催された講演会で山口大学の教授が話された、魚に含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)などの栄養素についての研究に強く心を惹かれました。講演会終了後に教授のもとへと駆け寄り、お話をさせていただいたところ「一緒に研究をしよう」と山口大学大学院への編入を勧められました。それをきっかけに山口大学大学院に進み、2年間、研究に没頭する日々を送りました。修士課程修了後は、自分の興味あることが続けられ、これまで積んできた経験も活かせると思い、大学院で共同研究をしていた東京の健康食品を開発・販売する企業に就職しました。その企業に1年半ほど勤めたのちUターンし、実家で美容と健康に特化した商品を企画・通信販売する株式会社DAZZLEを創業しました。

創業を決めた理由を教えてください。

東京の企業では製品の企画・開発から営業・販売に至るまで事業に関わるさまざまなことを経験したのですが、次第に「こういう商品だったらもっと売れるのに…」「この商品はこういう人をターゲットにした方がいい」など、たくさんのアイデアが浮かんでくるようになりました。ただ、会社員という立場では、社内における多くの調整事項をクリアしないといけないので、商品化までにものすごい時間がかかってしまいます。しかし、美容や健康の市場は移り変わりが非常に激しいので、スピーディーに進めないと機を逸してしまいます。実際にチャンスを逃してしまったことも何度かあり、次第に「自分でやるしかない!」と思うようになっていきました。いずれは自分で商売をやりたいと考えていたので、独立に迷いはありませんでしたね。そして2014年に、「美容」と「健康」を軸に事業を展開する、現在の会社を立ち上げました。

創業に向けてどのような準備をされましたか?

まずは、不足分の資金を借り入れるために金融機関を訪ねました。しかし、借入について何も調べておらず、「行けば貸してもらえるだろう」ぐらいの軽い気持ちで、ほぼ手ぶらの状態で訪問しまして…。もちろん融資は断られました(笑)。そこからやっと、事業計画書の書き方についてインターネットや本で調べたり、(公財)やまぐち産業振興財団に相談に行ったりしました。完成させた事業計画書を持って、再び金融機関を訪れましたが、なかなか融資は決まりませんでした。「商品の仕入れ先は?」「事務所は必要ですか?」「資金繰りの見通しが甘い!」など数々の鋭い指摘を受け、何度も手直しをしました。現実はそんなに甘くありませんでしたね…。融資を受けるまでに大変苦労したおかげで、経営することの厳しさを知ることができました。

創業間もない頃の状況はいかがでしたか?

自社で企画した商品がやっと完成して、「あとは売るだけ!」という段階になったときに、通信販売事業の命綱となる宣伝広告費のことを全く考慮していなかったことに初めて気がつきました。お恥ずかしい話ですが、通信販売事業には、多額の広告宣伝費が必要だということを全く知らなくて…。この時点で既に残高はかなり減っていて、広告宣伝にかけられる費用はあまり残っていませんでした。スタートから大きくつまずき、いきなり大ピンチを迎えました。

そのピンチをいかにして乗り越えられたのですか?

まずは自分で商品のホームページを作り、インターネットの広告運用サイトに登録し、できる限りの宣伝広告をしました。さらに、TwitterやFacebookなどのSNSを使ったマーケティングにも挑戦しました。すると運よく、芸能人の方の目に止まって使ってもらえ、ラッキーなことにブログなどで紹介してもらえたんです! そこから徐々に広まっていき、売上が少しずつ伸びていきました。

そこから経営は安定していったのですか?

いいえ。ピンチはまだまだ続きました(笑)。売れると在庫が無くなりますので、また製造しないといけません。製造で資金が減って、販売して利益を出して、するとまた製造で資金が減って…と、ずっとこの繰り返しです。利益を出すためではなく、資金繰りのために事業を展開している状況が延々と続きました。しかし、そうこうしているうちに通信販売事業のアドバイザー的な仕事がもらえるようになりました。自分で通信販売事業をしながら、他社のお手伝いも並行して行うことで、ようやく利益が平均的に確保できるようになり、少しずつですが経営が安定していきました。

現在は通信販売の他にも事業を展開されていますよね?

最初の1〜2年は美容・健康関連商品の通信販売事業のみに専念していたのですが、商品パッケージや同梱するパンフレットなども自分たちでデザインするようになり、デザイン事業部を立ち上げました。他社からのデザイン制作依頼も受けるようになったことから、現在は「株式会社ゼロカライチ」という別会社も設立しデザイン専門会社として運営しています。また2018年には飲食事業も立ち上げ、下関市の観音崎地区で「関門ベイク」というお店の営業もしています。昔から料理が好きで、創業当時から「いつかは飲食事業をやりたい!」と思っていたので、その夢を叶えた形です。

ワークライフバランスはいかがですか?

おかげさまで大変忙しくさせていただいています。ほぼ休みはありませんが好きなことを楽しくできているので、仕事をしているという感覚はあまりありませんね。あとは同時に3つの事業を展開しているので時間配分を考えないといけません。今はとにかくフットワークを軽くすることを心掛けて、事業拡大のために一番よい時間配分を調整している状況です。

創業して良かったことは何ですか?

会社員だった頃とは違い、自分のタイミングで物事が進められるようになったことですね。「今」やりたいのにできないという状況がないので、仕事の効率が良くなりました。他は、実際に体験しながら社会の仕組みが学べていることですね。税金や各種制度についての知識が身についたり、地域の活性化について考えるようになったり…。視野が広くなったことで、より柔軟な考え方もできるようになりました。会社員のままだったら、この成長はなかったんじゃないかと思います。

今後の事業展開について教えてください。

3つの事業それぞれを発展させ、より充実させていきたいですね。通信販売事業は年内に新商品の発売を予定しており、飲食事業においては夏頃に下関市に居酒屋を出店する予定です。デザイン会社は事務所を移転して撮影スタジオを併設し、今よりさらにできることを増やしたいと考えています。ほか、まだ正式には言えませんが、別会社の設立も検討中です。将来的には宿泊施設の運営もしてみたいですね! やりたいことはまだまだいっぱいあります(笑)。

創業をお考えの方にアドバイスをお願いします。

創業することを難しく考えていらっしゃる方が多いと思いますが、決してそんなことはありません。自分が得意なことや趣味をとことん突き詰めていけば、何でも事業にすることができると思います。ですから、「夢や目標」だと諦めてしまわずに、まずは動いてみることをお勧めしたいですね。今の時代、自分の行動とアイデア次第でさまざまなビジネスが展開できる可能性があります。社会に出たら結果が全てです。チャンスも結果も自分で掴み取れ。ぜひ勇気を出して一歩踏み出してみてください。