創業者紹介

田中窯業(多幸窯)

久野 公寛

Tomohiro Hisano

文化財を維持するため3代目に!
登り窯と伝統技術を守り、
「焼き物の里」を復活させたい。

久野 公寛36years old

Tomohiro Hisano

北九州市生まれ。福岡の大学を卒業後、就職で山口市内へ。結婚式場での業務や、ワーキングホリデーを利用したオーストラリア滞在を経たのち、防府市の有形民俗文化財「末田の登り窯」に出会い、伝統技術のタコ壺づくりを学ぶ。現在は、「田中窯業」の3代目となり、廃止していた事業を再開し、県内外にタコ壷を出荷。
 
田中窯業(多幸窯)
創業:2018年5月
住所:防府市江泊198

北九州市で生まれた久野公寛さんは、福岡の大学を卒業後、結婚式場への就職のために山口市に移住。その後、ワーキングホリデーを利用して1年間オーストラリアに滞在し、チョークアートを学んだという異例の経歴の持ち主です。そんな久野さんは、ある時、防府市内で出会った有形民俗文化財「末田の登り窯」に一目で魅せられ、タコ壺づくりを学びはじめます。「田中窯業」の3代目となった久野さんに、承継までの道のりやこれからの目標などについてお聞きしました。

これまでの経歴を教えてください。

北九州市の出身です。福岡市内の大学を卒業後、結婚式場に就職するために山口市に移住してきました。約5年が経過した頃、若いうちにしかできないことに挑戦したくなり、ワーキングホリデー制度を利用して、1年間オーストラリアでトラックの運転手をしながらチョークアートを学びました。帰国後、防府市の町おこしイベントに携わった時に、関係者から有形民俗文化財「末田の登り窯」を紹介されたのがきっかけで、田中窯業の3代目としてタコ壷の生産を承継することになりました。

なぜタコ壷づくりをしようと思われたのですか?

「防府にある登り窯でタコ壺づくり体験ができるけどやってみない?」と誘われたのが全ての始まりでした。ほんの軽い気持ちで足を運んだのですが、現地に着いた途端、一目で登り窯のカッコ良さに魅了されました。そこで初めて、後継者不足により田中窯業が廃業していることを知りました。「このままでは長年受け継がれてきた登り窯が無くなってしまう。誰もやらないんだったら自分がこの伝統を守りたい!」と思いました。それからすぐに、すでに引退されていた2代目の田中孝志さんにお願いして、タコ壺づくりの伝統技術を学び始めました。

技術の習得にはどのくらいの期間がかかりましたか?

約2年間です。原土を砕いて練るところから、タコ壺の形を作り上げるところまで、何度も何度も練習を重ねました。その間は、以前勤めていた結婚式場で働かせてもらったり、短期のアルバイトをしたりしながら生計を立て、タコ壺づくりに必要な材料費を捻出していました。大変でしたけど、面白くて楽しいという思いの方が大きかったですね。タコ壺を作り始めて丸3年が経ちましたが、まだその気持ちは変わっていないので、よっぽど自分に向いているんだと思います(笑)。初めて登り窯に火入れをした際には式典が行われ、防府市長をはじめ、地域の方々が50人くらいお祝いに駆けつけてくださいました。とても嬉しかったと同時に、3代目としての自覚も芽生えてきました。

事業を再開するにあたり、不安はなかったですか?

登り窯と機械は引き継ぎましたが、取引先との関係はすでに途絶えていました。それに加え、以前よりも漁師の数も大幅に減っている現状を考えると、事業として成り立たせることができるのか、将来性はあるのだろうかなど、不安しかありませんでした。先代の田中さんに教えてもらった、かつての取引先や漁港に連絡をしてみたところ、「再開したの?それならまたお願いしよう!」と言ってもらえて。最終的には、以前に取引していたほとんどの方が戻ってきてくださいました。

創業資金はどうされたのですか?

ある程度の数のタコ壺が焼き上がって、あとは売るだけという状態になったところで本格的に事業をスタートしたので、創業する際にはほとんど資金はかかりませんでした。今考えると、弟子入りしてタコ壺づくりを学んでいた2年間にかかった費用が、創業資金と言えるのかもしれませんね(笑)。運転資金については、「登り窯」の再開を知って訪ねてこられた金融機関の担当の方に相談させていただきました。すでに売買契約書を交わしており、ある程度の売上の目処が立っていたので、スムースに融資していただくことができました。

事業を再開してから現在の状況はいかがですか?

毎年、平均10,000個ほど販売しています。完成したタコ壺は、山口県や下松市、周南市、周防大島町などの各自治体に出荷しています。最近、新たな取引先として加わったのが兵庫県明石市です。新聞に「明石市のタコが減少しつつあるので、クラウドファンディングで集めた資金を活用し、タコ壷オーナー制度をスタートする」といった内容の記事を見つけ、「もしかしたらタコ壺を買ってもらえるかも…」と思い切って問い合わせをしてみたところ、入札に参加させてもらえることになって…。その結果、ありがたいことに受注することができました!少しでもチャンスがあるのならば、あらゆることに挑戦すべきだと実感しましたね。

事業を継続するうえでの不安や悩みはありますか?

成形するための機械は80年前のもの、窯は30年前に修理したものなので、とにかく壊れたり、故障したりしないかが不安です。以前窯が壊れたときは、「末田焼き物の里保存会」のみなさんが保険会社の補助金を見つけてくださったのでなんとかなりましたが、いつもいつも補助制度を利用できるとは限りません。さらに文化財なので私の判断だけで修理したり、作り替えたりということもできません。それに、万が一作り替えることになったとしても、登り窯は1つ作るのに1千万円くらいかかります。しかも多幸窯は4連ですので…、考えるだけで恐ろしいですよね。壊れて使えなくなったら文化財も無くなってしまうということなので、現時点でこれが一番大きなプレッシャーになっています。

行政機関等からの支援は利用されましたか?

事業を開始してからは、防府市中小企業サポートセンターに今後の事業展開やwebサイト製作、確定申告等について、いろいろと相談にのってもらっています。

事業承継して良かったことは何ですか?

やっぱり好きなことをして生きていけることでしょうか。火入れ作業の時は、約3日間ずっと窯のそばにいなければならないので、熱いし、疲れるし、眠いしで、それはもう大変です(笑)。でもそんな苦労は、焼きあがった時に一瞬で吹き飛んでしまいます! 創業して1年半が経ちましたが、今でも毎日が楽しくて充実しています。タコ壺づくりは、自分にとっての天職だと思いますね。

今後の目標を教えてください。

多くの漁師さんに「多幸壺」を使ってもらえるよう、もっと生産量を増やしたいですね。そのためにはやっぱり人手が必要です。現在は、私とボランティアさん数名での作業なので、生産できる数にどうしても限界があります…。ですから、まずは売上を安定させて、長期的な計画が立てられるようにしていきたいです。そして、きちんと後進を育てて、有形民俗文化財「末田の登り窯」を、しっかりと後世につないでいきたいですね。もう一つの目標は、地域の方々が再開を望んでいるタコ壺祭りを復活させたり、もっと頻繁にタコ壺づくり体験会を開いたりして、末田地区を「焼き物の里」として復活させ、地域全体に勢いを取り戻すことです。そして、いつまでも文化財として多幸窯を守り続け、地域のおじいちゃん、おばあちゃんがいつでも集まれる憩いの場にしたいと思っています。

創業をお考えの方にアドバイスをお願いします。

創業を決意したら、まずは信頼できる人に相談するべきだと思います。私は、誰にも相談せずに、アルバイトを掛け持ちしながら創業準備を進めていったので、肉体的にも精神的にもかなりの無理をしてしまいました。最近、防府市中小企業サポートセンター防府商工会議所の方とつながりができ、さまざまなことを相談するようになりましたが、なぜもっと早くそうしなかったのかと反省しています。また、創業や事業承継に関するセミナーへの参加もおすすめです。経営者としての知識を深められるのはもちろん、いろんな支援制度や補助制度を知ることができますよ!