創業者紹介
日積市原サンワーク
髙井 千里
Chisato Takai
ものづくりの楽しさや達成感、充実感…
会社員では味わえなかった喜びがいっぱい!
糀が紡ぐ数々の出会いが生きがいに。
髙井 千里78years old
Chisato Takai
岩国市で育ち、結婚を機に柳井市へ移住。地元のスーパーマーケットや郵便局、薬局など会社員として多彩な職場を経験。定年を迎えた後、「少しでも地域のために!」と65歳で日積市原サンワークを創業。糀製品の開発・販売に情熱を注ぐ。
日積市原サンワーク
創業:2012年2月
住所:柳井市日積7399-2
Facebook:https://ja-jp.facebook.com/日積市原サンワーク-953413484700627/
これまでの経歴と創業を決めた理由を教えてください。
結婚を機に岩国から柳井へと移り、地元のスーパーや郵便局、身体障害者施設、薬局などで定年を迎えるまで働いていました。無事に定年を迎えたときは、「これでゆっくりできる!」というよりも、「地域の役に立つことを何か始めたい!」という気持ちの方が強かったですね。なぜなら、2013年に柳井市都市農村交流施設「ふれあいどころ437」が開設されることを聞いていたからです。せっかく地元に大きな施設ができるのであれば、きちんと活かさないといけないなと。最初は家庭菜園の延長のような形で、野菜でも作って売ろうかなと思っていましたが、次第に、どうせやるならしっかりと利益を上げられて、雇用を生み出し、地域の活性化に繋がる事業がしたいという気持ちが出てきました…。お米を作っていたので、お米を使って何かできないかなと考えていた時、帰省していた息子が、「おばあちゃんがいつも作ってた味噌を作ってよ!」と言ってきたんですね。そこで、糀を事業にすることをひらめきました。きっかけは息子の言葉でしたね。
創業前にはどのような準備をされましたか?
まずは、周防大島町の「島スクエア」で起業家養成講座を受けました。九州からやって来られた講師や、大島商船高等専門学校の先生から、経営全般についてはもちろんのこと、書類作成、各種手続きといった創業に必要なさまざまなことを学びました。商品開発についても、いろいろなアイデアをいただきましたね。この講座を受けたことで、「地元特産物の6次産業化」という思いは、より一層強くなりました。また、私が周防大島町の「島スクエア」へ通っていることを聞いた地域の方が、柳井商工会議所でも創業者支援をしていることを教えてくださって。それから「やない創業塾」にも参加しました。中小企業診断士の先生からは経営のノウハウを、商工会議所の担当者からは経理に関することを教えていただきました。保健所への届出、土地の名義変更、加工場の設計、使用器具の調達、青色申告書の作成などクリアしないといけない課題はたくさんありましたが、その都度相談させていただき、たくさん助けていただきました。今でも何かあったら、すぐに相談に伺っています。
創業資金はどのように集められたのですか?
退職金と柳井市からいただいた6次産業化の助成金を利用しました。加工場の相談をするために柳井市役所に行ったところ、たまたま職員の方から6次産業化に助成金制度があることを教えてもらったんです。「応援してあげるから、申請だけでもしてごらんなさい」って言っていただいて。すぐに諸々の書類を揃え、見積を取って農林水産課に提出しました。事業計画書の作成は「島スクエア」の講師にしっかりと指導していただきました。この事業計画書のおかげもあって、地域のために何かしたい、地元の産物で新しい何かを作りたいという私の思いが十分に通じて、無事に助成金をいただくことができました。これは本当に助かりましたね。
創業してからこれまで、苦労や失敗はありましたか?
糀づくりはとても繊細なものなので、常にベストな状態で完成するわけではありません。例えば、昨年の夏は気温が異常に高かったので、質があまり良くなくて…。しかも、見た目ではほとんどわからないんです。出荷後にお客様から「いつもとちょっと違う」ってお電話をいただいて、実際に食べてみると本当にその通りで、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。けれどありがたいことに、クレームなんですけど励ましの電話なんです。「ショックを受けて糀づくりをやめないでね!」って。その言葉に感謝して元気をもらって、また立ち上がることができています。糀を扱うのは本当に大変で、細心の注意を払っています。例えるなら小さな赤ちゃんを育てているような感じです。夜中でも気になったらパッと起きて加工場まで見に行ったりすることもあります。大変ですけど、しっかり気をかけてあげたら、その分、とてもいい糀ができるんです。その反面、「面倒だからこのぐらいでいいか」って思うと、やっぱりいいものはできないんですね。
宣伝や集客などはどのようにされているのですか?
商売をするならSNSを利用した方がいいと大島商船高等専門学校の先生にアドバイスをいただき、まずはFacebookページを開設しました。開設方法や記事の投稿の仕方、効果が得られる文章の書き方など、さまざまなことも教えてくださいました。今ではお客様が感想を書き込んでくださったり、料理写真を投稿してくださったりと、たくさんの方々に知っていただけるツールになっています。その他には、特産品を扱っているお店や道の駅に行って、商品を置いていただけるように交渉して歩きました。最初はかなり苦戦しましたね…。一生懸命説明しても、出来たばかりで知名度も実績もない商品なので、すぐには販売の許可はいただけなくて。けれどもあるとき、実際に商品を持って伺ったんです。すると反応は一気に変わりました。「そうか!言葉だけで説明しようとしても限界がある。現物を見て、味わってもらって初めて心に響くんだ」と実感しました。その経験から、積極的に試飲会を行うようになりました。自分たちの言葉でこだわりを伝えたり、またお客様の生の声を聞いたりすることができる、とてもいい機会になっています。こういった積み重ねがあって徐々に皆さんに知っていただけるようになりました。また、購入した方々の口コミのおかげで、新しいお客様も増えていっていますね。
売上など現在の経営状況はいかがですか?
ありがたいことに最初からそんなに苦労はしていません。想定した程度の売り上げは当初からありました。今思えば、ちょうど塩糀が世間的に注目されている時期と重なっていたことがラッキーだったのかなと思います。まあ最初から利益目的ではなく、「何かしたい!」と始めた事業なので、目標設定が低かったのからかもしれませんが(笑)。その後も認知度が高まるのに比例して、売上も徐々に伸びていきました。ただ、実は今、一緒に働いてくれていたスタッフが育児に専念するために辞めてしまって試飲会まで手が回らない状況になり、以前に比べると少し売り上げが下がってきています。改めて試飲会の大切さを実感しているところです。新しく入ったスタッフが慣れてきたら再開する予定ですが、それまでの間は商品開発に多くの時間を割こうと思っています。これまでは、おばあちゃんが作ってきたのを見よう見まねでやってきましたが、昨年の夏の失敗の件もあって、もう一度、原点に戻ろうと考えていたので、ある意味いい機会になったのかなと思っています。「島スクエア」で出会った微生物専門の先生に教えてもらったり、糀マイスターの方に指導してもらったり、ホテルオークラの元総料理長に試作品の味見をしてもらったりと、初心に戻って糀づくりを学び、基礎的な部分から見直しをしています。
創業して良かったことはありますか?
地域のためにと創業しましたが、実際には私にとっていいことばかりだったような気がします。創業したおかげで、糀の奥深さを知り、商品開発の楽しさを知り、好きなように売ることができ、「おいしい! ありがとう」と言ってもらえる喜びを知りました。電話だったり、手紙だったり、ハガキだったり、こんなにもさまざまな方からの応援や励ましをいただけるなんて想像もしていませんでしたね。これを励みに、もっともっと頑張らなくてはと思います。また、糀を通じて、大学の教授や糀を専門とする全国的にも有名な先生とも知り合うことができました。その輪は島根、広島、そして東京へとどんどん広がっています。たくさんの方々に支えてもらっているおかげで、楽しく充実した人生を送れています。
今後の目標を教えてください。
まずはさらに糀の品質を上げて、よりおいしいものを作ることです。そして、もっともっと経営を安定させ、地域の農家が自立できるくらいの収入が得られるまでの事業に育てたいです。それと同時に、現在の社会に多く見られる大勢の人たちと働くのが苦手な若い方たちも積極的に受け入れ、地域に雇用を創出していきたいです。そして何より、この糀づくりを地域の方々に継承していってもらえればと思います。これからの子どもたちに甘酒や味噌など発酵食品の素晴らしさを伝えてもらって、健康のために食べ続けてもらいたいです。そのためにもっといろんな商品を開発して、しっかり販売していきますよ(笑)!
現在創業をお考えの方にアドバイスをお願いします。
やりたいことがあれば、まずはやってみること。とにかく第一歩を踏み出してみることが大切だと思います。始めてみたら意外に次々といろんなアイデアが浮かんでくるものです。もう一つは、できるだけ借入はせず、身の丈に合った規模から始めるのがいいかなと思います。もちろん、しっかり初期投資するやり方もあるかと思いますが、最初から無理をして多額の借り入れをするのは私としてはおすすめできません。全部を一気にする必要はないので、できることからじっくり始めてみてください。応援しています。